miwatakaの日記

生き方の知恵

世界一小さな経営者

4年前会社をたたみ、苦しい現実から抜けられると思った。

7年間続けた会社は赤字続きで、売り上げを上げる営業は和多志一人だった。

従業員7名と共に暗闇の中を突き進んでいた。

社長である和多志は月末の支払いに追い込まれ、経理や管理業務に頭が回らなくなっていた。

税金や保険料、給料や事務所経費は毎月、キャッシュカードから資金を作り、何ヶ月も先の支払いが雪だるま式に増えていった。

営業に集中できなくなり、客先で営業をしていると頭や額から、顔から、滝の様に汗が流れ出て、重圧に耐えられなくなってしまった。

物忘れも激しくなり、車の運転は恐怖に変わり、2週間まったく睡眠が出来ないほど体調は危険信号を灯していた。

決断力は無くなり、会社に出勤する勇氣が無くなり、街中をあてもなく何時間も歩き回っていた。朝起きても布団から出ることが出来ない。

スーパーに行き、食料品を買おうにも何を選んで何を購入したいのかさえもわからない、全ての判断が出来なくなってしまった。

いわゆる、うつ病っていうものになってしまった。

あらゆる強迫観念に苛まれ、会社の運転ができない。支払いが出来なくなる事の恐怖に自殺願望が湧いた。

焦れば焦るほど、何も上手くいかず空回りし続けて、結局誰にも頼る事が出来なくなった。

会社の社員さん、家族や友人に相談したところでもはや袋小路、人生が変わっていく分岐点だった。

夢や目標、理念や方針はぼろぼろになり、死にかけていた。

月々の支払いが出来なくなった時、わたしは和多志ではなくなる氣がしていた。

会社の信用とは、一つの狂いもなく、全て完璧に商いをして、たった一つの間違いもなく物事を完結させることだと思い込んでいた。

 

最近になって、現代社会にはコインの裏と表がある事に目覚めた。本音と建て前と言ってもいい。

夫婦でも、家族でも、会社でも何でも皆んな人間には本音と建て前があって物事は完璧にはいかない。

全ての人々が何かしら言葉に嘘をついている。

銀行の融資もその一つである。

銀行の担当者は融資が仕事だから、建前上の信用を作り出し、客を乗せて融資を受けさせる。

それが信用だと思い込む経営者は返済に追われる。

融資を受ける事で人間は余裕が生まれる、殆どの人が見えを張って収入より大きな物に取り憑かれてそれらを買ってしまう。

車や家や、現実にはあまり必要がない大きな物を買ってしまう。

人間の本能的な物欲は止まらない。

この社会は非常に上手く出来ている、目に入る情報や広告にいつのまにか釣られてしまう。

一つ手に入れれば更にもっと欲しくなる。

それよりも良いものを、もっと良いものを追い求める。

何かに取り憑かれた様にいつのまにか人間は甘い方へ流れていってしまう。

銀行担当者の口車に乗せられる人もいるし、銀行担当者の言葉に込められる、二つの意味を理解して、上手く使いこなし世間を渡る人間もいる。

この街は建て前で回っている。

少なくとも殆どの人が完璧を求めて、失敗を許さない仕組みになっている。

無理なく等身大で生きて行くことの余裕を、心には残しておいた方が生きやすいと言える。

 

あれから四年、雁字搦めの会社経営から逃げて、無事不時着することが出来た今、ぽっかりと心の中に隙間を感じる。

 

一財を築く事が出来なかった無念さ、仲間達に申し訳ない氣持ち、自分の無力さ、弱さ、その他。

人一倍、「何かを」経験したとは細やかに思うが、それらが今後の人生に役に立つとは今のところ定かではない。

 

また一から経営をしたいとは思うが、それが人生において幸せをもたらしてくれるとは思わない。

見栄を張ったり、欲張ったり、かっこつけたり、無理な背伸びをして身の丈に合わない生き方を行なってしまった時点で、失敗は日々雪だるま式に大きくなり、手がつけられない程の苦しみと恐怖を運んでくる。

 

家族や親族を大切にして、友人との繋がりや、地域社会との関わり合いを持つことが、人生において緩やかに持続する幸福をもたらす。

 

他人や近しい人達に尽くして、めんどくさい事を自ら行う事が、実は何事にも変えられない充実と幸せだったりする。

 

そうやって、手間暇をかけてこつこつ行う作業によって、人からありがとう、と言ってもらえる。

 

ありがとう、と言われない人生なら生き方を考え直した方が良い、もしくはどん底に突き落とされない限り自身は氣がつかないだろう。